格闘系チャンネル「瓜田夫婦」を運営されている瓜田純士さんをご存知でしょうか?
対談系・格闘系・ブログ系の動画配信をされているチャンネルで、人気を集めています!
そこで今回は『瓜田純士の若い頃や中学時代は?生い立ちについても!』と題してご紹介していきます!
- 瓜田純士の若い頃や中学時代は?
- 瓜田純士の生い立ちについて
瓜田純士の若い頃や中学時代は?
現在・作家・Youtuberでいらっしゃる瓜田純士さん。
若い頃・中学時代にさかのぼってリサーチしてみました!
中学時代は?
瓜田純士さん、中学時代は「少年ギャング」いわば、不良少年だったようです。
少年ギャングとは、市街地などの路地などで集まり悪行を行う「チーマー」「暴走族」とも言える集団で、いわゆる「不良グループ」
純士さんは、その中学生版(?)に加入されていたようですね・・・!
もともと小学生の頃から「不良少年」と有名だったそうで「アウトローのカリスマ」とも呼ばれていた、純士さん。
ネットや、純士さんのまとめ情報からの情報によると、瓜田さんは、あまりもの素行の悪さに中学を転校させられてしまったり、修学旅行に参加させてもらえなかったものの強引に参加したなど・・・もはや伝説とも言えるようなエピソードもあるようです!!
ちなみに、少年ギャングには流儀というものがあり「推しの先輩の生き方をまねる」のが特徴だそう。
「新宿区出身・中野区出身・渋谷区出身」で先輩たちの文化や教えが違ったようです・・・
・・・少年ギャングの世界は、私たちが思っているより濃く、流儀がしっかりしているものなのですね。
若い頃(中学卒業後)は?
そんな瓜田さん。中学卒業後、鳶職に一時就職していたものの、17歳で「暴力団」組員に入ります。
鳶職で真面目に働いて時期あったと下の動画5:09~で話しています。
しかし、17歳の時暴力団に入る事になった瓜田さん。
その日常は、一般的なそれとは違うようで、下の動画でご本人が語るところによると
- 「組長と大喧嘩して、落とし前として自分の小指を詰めた」(0:26~)
- 「出血がひどくてコンビニでテープを借りて止血した」(1:20~)
- 「売人とシンナーを売っていた。タクシーの運転手がよく買いに来ていた」(2:22~)
- 「上の人から突然電話がかかってきて、先輩が渋谷署に捕まったから、今から(渋谷警察署に)行って皆で暴れてこいと命令が来た」(2:43~)
- タクシーで命令された場所に行こうとしたら、運転手がシンナーを吸っていた
などという、一般的生活のなかではなかなか聞けない濃厚な話題ばかり・・・もう仰天的としか言いようがありませんね(笑)
そんな日々を生きていた瓜田さんは、24歳の2003年当時、覚せい剤の罪で捕まってしまい、3年を超える懲役を受けてしまいます。
しかし、その服役中のある行為が瓜田さんの運命を変えます。
それは「小説」を書くことでした。
刑務所内のコンクールに挑んだ結果、5500人の中から、瓜田さんの初めての小説「mother」が大賞を受賞されたのです。
当時執筆された「mother」がどういった内容なのか、公開が無いので、ここでは分かりかねますが刑に服した事により、暴力の道から離れた瓜田さんが、真っ先に浮かんだのはmother(母)のことだったのかもしれませんね。
そうして、人生始めての受賞経験をした瓜田さんは、作家を志すようになったそうです。
26歳(2007年)堅気となって出所されたあとは、翌年2008年に格闘技デビューを果たすとともに、「ドブネズミのバラード」「ピラニア」など次々と作家デビュー。
近年、Youtuberデビューも果たし、現在に至ります。
瓜田純士の生い立ちについて
瓜田純士さんの生い立ちについてまとめてみました!
純士さんの生い立ちについては、上と下の動画2つで語られており、シンプルにまとめると
- 暴走族の父・花屋経営の母の間に、次男として誕生
- 両親が離婚
- 母・祖母・お兄さん・純士さんの4人で生活
- ホステスをしていた母に育てられる
- 小学校の時、カツアゲをしていた事から不良に目覚める
といった生い立ちのようです。
下の動画3:18~で語られていますが、純士さんのお父様は、暴走族の筋で有名な二代目総長・瓜田吉寿さんのようです。
ネットの噂では、お母さまも過去には暴走族をされていたのだとか・・・(名前は不明)
ご両親が結婚をしたタイミングか、子供ができたタイミングかは不明ですが、お母さまはお父様の指示で花屋を経営していたそうです。(下の動画3:04~で、純士さんがオヤジがお袋にやらせていた花屋があったと語っています!)
暴走族の父と花屋経営の母の、ご両親の間に、純士さんは次男として誕生します。
しかし、ご両親が早くも離婚。
瓜田さんは、お父さんと暮らした記憶はほぼ無く(上の動画4:40~より)「母。祖母、兄、自分」の4人で暮らしていたようです。
そんな瓜田さんの子供時代は
「僕が初めてお母さんに連れて行ってもらったクリスマスパーティが、母がホステスとして働いていたお店のパーティだった」「客のオジサンたちが頭にネクタイ巻いてクリスマスソング歌ってる」
(上の動画3:59~)
といった事があったよう。(笑)
それなりに子供らしい思い出もあったようですが、純士さんが不良になった経過としては下の動画3:09~語られており
「歌舞伎町で育ったかは分からないけど・・・」と前置きしたあと「お兄ちゃんは賢い子だったんですよ。」(下動画3:31)
純士さんは、母と祖母が賢いお兄さんにつきっきりで、自分は放置されていたという想いがあったのかも知れません。
同動画3:54~は「小学校のころから、自分の基準で、『僕が思っていると、友達も僕と同じ考えだと都合よく考えてしまう。今日はあいつを引っぱたいて金を取って駄菓子をみんなにふるまってやろう』『そしたらみんなが喜んでくれると思っていた』」
子供らしい、無邪気なお話ですが、そういった事から、不良へとエスカレートしてしまったようですね。
というわけで、純士さんの生い立ち~不良になるまでのエピソードは、このようなお話でした!
まとめ
瓜田純士の若い頃や中学時代は?生い立ちについても!に関して紹介してきました!
- 瓜田淳氏は素行が悪すぎて中学二年生の時に転校させられるほどの「やんちゃぶりだった」
- 中学卒業後は、17歳で暴力団に入所。シンナーを売買したり、命令があれば警察で暴れる事もあった。
- 生い立ちは、瓜田さんと同じ暴走族リーダ「瓜田吉寿」と元暴走族の母の間に生まれる。
- 両親が離婚し、母に育てられた。
- 母・当時同所していた祖母・兄の4人で暮らしていた
という内容でした!
瓜田俊士さん。調べていくと、とても濃く深い、普段の生活ではなかなか聞けないお話を沢山伺えました。
暴力団メンバーから更生し、作家・Youtuberと転身を遂げ、社会に貢献されている純士さん。
そんな彼の生末をを見守りたいファンも多いのではないでしょうか・・・?
最後まで読んでいただきありがとうございました。
瓜田純士の若い頃や中学時代は?生い立ちについても!